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環境社会学について学ぶ

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淡路島の五色沖で洋上風力発電の導入可能性調査が進んでおり、今年になって「風力発電を学ぶ」という勉強会兼説明会が開催された。

洋上風力の調査のことは以前から知っていたけども、このような機会があり、単純に「イエス」か「ノー」とか、「嫌だから」「代替案はないの」という考えだけではないものところをより深く学ぶ必要があると感じた。

風車やエネルギー(電力)、環境のことなど、それぞれの要素を知ることも大切だけど、それだけではなく、取り巻く地域や暮らしのこと、時代の流れというところも大切。要は社会学っぽいところ。

「環境社会学」という大学の教科書っぽい本を購入。元滋賀県知事の嘉田さんが書いた本である。

 

「水」、「土地」、「暮らし(家)」、「食」、「ゴミ・エネルギー問題」などのトピックで戦後社会の変化の中で、人の暮らしや行動などの「人との係わり」がどのようになっていったのかということが示されている。

第1章だけお伝えすると「蛇口の水はどこから?」というお話。
蛇口から水が出る前は、バケツでくんでくる上水も排水も「近い」水であったということ。物質的に近いというだけでなく、それを維持するための時間や場所のルールなどの「地域のおきて」があり、社会的距離も近いということもである。お風呂の排水は掃除に使ったり、排泄物は肥料に使ったりと。川に流すことが戒めであるということも。

そんななかで、1950年代から上水道ができていき、これまで1人あたりの水使用量は1日約20リットルであったのが、1日約300リットルに増えたということ。上水が増え、川の水を使うという習慣がなくなっていく中で、川を汚さないという「おきて」も弱まっていったと。暮らしの中で、トイレも水洗を使うことが文明のバロメータのようになった結果、これまでのし尿との付き合い方もなくなっていったということなど。そして、河川の汚染など様々な問題も。
それは、物理的にも社会的にも「遠い水」になっていったということ。

それが暮らしの一つのなったこと。毎日水をくみに行っていた暮らしから「カラン(蛇口)ひとつひねると水が出る」という暮らしは「天国にきたようだった」というお話もある。

戦後の急激な成長社会と暮らしの変化。
このような歴史を踏まえたうえで、技術の進歩とともに、今の時代にどのようなカタチで
暮らしていくことができるのかなということをよく考える。

数年前に開沼博さんの「フクシマ論」を読んだときに感じたことと似ているような。そんな気がした。

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